あきらめるという高等作業

自分を振り返っても、クライアントさんとの関わりでも、「あきらめる」というのは、人生にとって、とても重要なテーマだと思います。「あきらめ上手は生き方上手」(文庫「あきらめの悪い人、切り替えのうまい人」)でも、そのことに触れてきました。

先日、ある新聞社から、ペッパーやアイボなどの、最先端の家庭用ロボットを評価する、という機会を与えていただきました。どのロボットも素晴らしいもので、技術の発展により生活が豊かになる未来を具体的に感じることができるました。売りの機能として多かったのが、音声認識や画像を使って様々なことができる機能や、小さいのにしっかり立ったり動いたりすることができる機能(これはモーターの小型化がカギになっているそうです)。

たくさんのロボットのなかで、私が一番関心を持ったのは、おもちゃ会社のロボットでした。これは、今流行りの音声認識技術を「省いて」あるのです。

音声認識は、技術者にとって腕の見せ所。そこでの努力を商品化したいという思いは作り手としてとても大きいと思います。それを、あえて捨てた。

なぜかというと、今の音声技術では、一度で認識できないことが多く、使い手が何度も言い返すことが避けられないから。認識してくれないと、私たちは、少し大きな声で、はっきりと伝えなおそうとします。つまり、そこに努力を強いられるのです。

作り手としての自分たちの思いではなく、使う相手の立場を優先した。その結果、とても使いやすく、人にやさしいロボットになっているように感じました。

「あきらめる」は、決して、敗北なんかじゃない。大きな目的に向かって前進するために、どこかを捨てる。しっかり全体像がつかめていないと、目先の損失だけにとらわれて、あきらめることができなくなる。

感情にとらわれているときに、あきらめるという高等作業がしにくくなります。

感情のケアを学びながら、あきらめについても考えてもらえればと思います。

感ケアの入門一日講座、スキルアップ講座が間近です。関心のある方はどうぞ。