毎日ものすごい猛暑ですね。外に出るとサウナで息を吸っているような感じがあります。
最近あったのが学校のクーラー論争。年配の方に多いのが、「自分たちが若い頃、そんな贅沢なものはなかったが、それでもみんな元気に暮らしていた。今の若者は軟弱なのではないか」という意見。
生体に危機が迫る時、ヒトは自分だけの感覚でなく、過去や他者の動向などの多角的なデータにより、ストレス度を判断し、対処行動のための「苦しさ」を発します。この機能の主体となっているのが「比較」という感情のプログラムです。
暑くても、過去乗り越えた体験があったり、まだ他の人が元気なら、「これぐらいは大丈夫、耐えられる暑さ」と認識し、耐えようとします。
お年寄り(僕を含めた)の比較は、過去経験が主体となっているのです。夏の暑さは耐えられるもの、という認識があり、それと比較して、クーラー騒動に批判的になってしまうのです。
でもデータでみると、50年前と今では、夏の暑さ自体がかなり違うのです。
このようなとき、客観的なデータ(エビデンス)は、私たちの視野を広げてくれます。
「最近の若者は、ストレスに弱くなった」。会社の上司たちからよく聞かれる愚痴ですが、これも、比較によってもたらされている判断かもしれません。
確かに肉体のストレスは減っています。ところが脳は常に活動しっぱなし。総務省情報通信政策局「平成18年度情報流通センサス報告書」によると、1996年に比べて2006年時点で私たちが消費できる情報量はなんと2万倍になっていたそうです。2018年の今は、さらに情報量が増えていますよね。
最高気温の記録が塗り替えられているように、私たちのストレス値も、史上過去最高を更新し続けているのかもしれません。これまでと同じような対処だけでは、心も夏バテしてしまいます。心をしっかりケアする方法論を知り、それを習得する必要が大きくなっているのです。