京都アニメーションの火災で活動した消防士がテレビで会見し「何もできなかった」と謝罪していました。
ほとんどの方が「消防の人が謝る必要はないのに」と感じたと思います。ですがご本人たちは、自分が何もできなかった無力感と罪悪感にさいなまれていたのです。これが惨事特有の心理なのです。周囲が「そんなことはない」といっても、本人の中では、罪悪感がつらくてしょうがない。
日本中の関心を呼ぶ事件なので、知人は「どうだった」と聞いてしまう。そのたびに当事者は、責められる感覚を持ってしまうのです。いちいち言い訳もできない。
だからこそ、あのような会見は意義があるのです。日本中に向かってとにかく「ごめんなさい」と言える。ご本人たちは少し心が楽になります。
悪いことをしている(自覚)があるのに「謝れない」ことの辛さは、吉本興業の謝罪会見でもひしひしと伝わってきました。
悲惨な出来事に遭遇した人の過剰な自責は、それを否定するのではなく、まずは全部吐き出させて、必要であれば謝罪をする機会を調整する、それもケアの一つなのです。