自責で受け止めるか無力感で受け止めるか

辛いことがあると、自責を中心に受け止める人と、無力感を中心に受け止める人の二つのパターンに分かれるようです。

自責を中心に受け止める人は、私が何か悪かったのではないか、私がやるべきことをしなかったからこうなったのではないかと、現在の不幸の原因を自分に紐付けて考えます。これは自分のあら捜しをすることなので、とても辛いことなのです。我慢もたくさんしています。また、他者から非難されるかもという不安や対人恐怖を感じたり、他者に影響を与えようとして、でもそれがうまくいかないイライラを感じやすいのもこのタイプの特徴です。

一見つらいことだけのようですが、この自責スタイルで受け止める人は案外多いのです。というのも、この思考の背景には「この事態は自分でなんとか対処できるところが大きい」という認識が隠れているからです。言い換えれば、ある種の「自信」が潜んでいるのです。

これに対し、無力感を主体に感じる人は、私は何もできないという認識がベースです。翻弄される感じで、辛い。しかし一方で、自分にやれることがないのなら、諦めるしかない、つまり自助努力をする必要がない、そういう楽な面もあるのです。

このどちらの態度が正しいかどうかではなく、「今の自分」にとってどちらのスタンスの方が今回のストレスを受け流しやすいかです。つらさが大きい時は、この自責、無力感バランスを意識的に調整してみるのも一つの手です。

例えば私の場合は、今回のコロナについては、事態の発生や社会・周囲の人の動きについては、私にはどうにもならない、つまり無力感で対応しています。あきらめです。しかしそれに対してどう生きるかは自責、つまり自分でエネルギーを使って改善できる範囲だと思っています。このバランスだと、コロナ後の社会に過剰に不安がることも、絶望することも、イライラすることもなく、むしろこの変化をなんとかうまく活用して、より充実した生活を送ろうという意欲が湧いてきています。今の私にとっては、良い7~3バランスだと思っています。