私はかねてから宗教には多くの人の悩みを救ってきたすごいパワーがあると思っています。
先週、真宗大谷派の三橋先生と会談した時もそれを強く感じました。
最近の研究で「首尾一貫感覚」が、人々が逆境に耐えるのに必要な感覚だということが分かってきています。
有意味感、把握可能感、処理可能感の三つです。どんなことにも意味があり、自分の置かれている状況を大体把握できており、課題を自分の力で何とか達成することが可能であると感じることです。
これらの研究がまとめられる以前から、軍隊では目標の三原則として、重要性、可能性、達成度の把握性と、だいたい同じことが教えられていました。要するに、意味を感じ全体像が把握でき、対処の可能性を感じていれば、人はそれほど動揺せずに活動を継続できるのです。
需要なことは、「感じていれば」という部分。
コロナや大災害のような、自分では何の対処もできないような状況に対しても、宗教の概念の中でそれを感じることができれば、心穏やかに過ごすことができるのです。それが宗教のパワーです。
例えば、念仏を唱えるとか、修行することなどは、頑張れば実行できます(可能性)。そんな宗教的な行動をしていれば、救われる、天国に行けるなどの全体像があり、1日3回祈るとか、巡礼するなどのプロセスもあるので、進歩を感じることができます(状況の把握)。最後の意義(重要性)ですが、お経や聖書などにはそれが書かれていますから、勉強すればするほど必要性を感じますし、時に奇跡と呼ばれるような事態に遭遇すると一気にその信憑性が高まります。ですから、キリスト教などは奇跡をとても重要視するのです。
このように宗教は、辛い時の心の支えになるのですが、逆に、今の様に世の中が不穏な時は、この三つの構造を持つものに強く惹かれてしまいやすい、ということも言えるのです。冷静な批判精神が薄くなってしまいます。
歴史のある宗教は信仰と生活のバランスがある程度うまく保たれています。一方、いわゆる新興宗教とか占いを信じることによって、魂は一時的に救われても、社会生活のバランスが大きく崩れ、長期的に不幸せになる場合もあります。
不穏な時代、魅力的な世界に見える時ほど、冷静な人のアドバイスを求めると良いでしょう。
(追加)
昨日6月30日、東京都がコロナ感染把握の数値目標を取り下げました。数値目標は、可能性と達成度の把握を感じやすいので、私達も行動しやすい。ただその分、数値目標が達成されていない時の動揺も大きいのです。今後、人々の不安がどうなるか、注目しなければなりません。