前号では、実学を学ぶには、知識学習だけでなく、必ず実際の現場に振り戻してみての試行錯誤が必要であることを強調した。
その試行錯誤がない、つまり頭だけの学習だとと、どうなるのか。
今回は、「程度の違いを認識できない」ということについて解説しよう。
例えばカウンセラーの教育で重視される受容、共感、自己一致。受容とは、相手の考えや価値観を否定しないで聞くという態度。この受容も「程度」で悩む人が多い。
あるカウンセラーは、クライエントの「他者に対するしつこい不信感」を否定しないように気を付けながら聞いてみたが、どうしても心の中で、「違うよ、人はもっと優しいよ」とつぶやいてしまう。そして終わった後の私との振り返りで「私は受容できていないのです」と反省する。
実際は、このカウンセラーは、クライアントの話を遮ったり、説教したり、ぶしつけに不満そうな顔をして聞いたわけではなく、クライアントは「聞いてくれてありがとう、また話を聞いてください」と言って帰ったのだから、十分に受容できていると私は考える。ただ、経験値が少なく、受容という教えの「程度」を十分に理解していないカウンセラーは、不必要に自信を失ってしまっていた。
知識学習では、言葉でしか覚えられない。その言葉の印象、特に程度は、受け取り手によってだいぶ変わってしまう。現場で、自分が思う「程度」でやってみて、それを上級者に相談しながら、少しずつ自分なりの現場に適応できる「知恵」に修正(育てて)行く過程が不可欠だ。知識で覚え、自分なりに思い込んでいる「程度」の行為をかたくなに守り続けようとすればするほど、逆にパフォーマンスは低下する。これを「守の守りすぎ」と呼んでいる。
実学を学ぼうとするとき、実際のパフォーマンスを上級者(コーチ)に指導してもらうのが大変効果的だが、それは、この程度を学べるからだ。カウンセリングがうまくなりたいと思う人は、ぜひ、良いコーチがおり、現場に近いトレーニングができる環境を選んでほしい。